【東京編】チャンピオン日記!戦慄のハイキック
僕はキックボクシングを始めようと思った瞬間から「絶対世界チャンピオンになる!」という気持ちしかなかった。だから当然、就職などする気はなく「これ(キックボクシング)で食べていく」と決めていた。通っていた大学では就活セミナーが行われていたが、一度も参加したことはなく、就活で着るスーツの色すら知らなかった。友達が大学で就活セミナーに参加していたころ、僕はジムで必死にサンドバックを殴っていたのだ。
キックボクシングを始めて何か月ぐらい経った時だったろうか。ついに試合をするチャンスがやって来たのだ!(ただ試合といっても、アマチュアの試合ではあるが…)
僕はヘッドギアを付けたり、レガース(すねパッド)を付けたりして、アマチュアで戦うのは格好が悪いと思っていた。世界チャンピオンを目指していた僕は、最初から後楽園ホールで入場曲の鳴り響く中、ガウンを身にまとい颯爽とリングインするイメージしか持っていなかったからだ(なんて生意気な素人なんだ💦)。しかし今になって考えると、当時アマチュアの選手が試合の経験を積むことのできる機会は少なかったので、本当はいいチャンスだったと思う。東京にいて、かつ周囲にキックボクシングに携わる人が多くいたからこそ、このような機会があったのだ。
試合に出ることが決まった僕はやる気もなかったくせに、早く試合がしたくてしたくてたまらなかった。なぜなら、僕には全く根拠のない自信があったからだ。「圧倒的な力の差で相手をKOして、観ている人たちの度肝を抜いてやる!」今流行りの「BreakingDown」に出てくる人たちも、こんな意気込みで応募するのではないだろうか。「自分なら絶対できる!」僕は自信という名の勘違いのもと、ひたすらトレーニングに打ち込んだのだ。
今回、僕の試合は70キロで行われることになった。対戦相手の選手は「黄金の左ミドル」と言われた山口元気会長率いるクロスポイント吉祥寺の選手だ。山口会長は元MA日本フェザー級とフライ級の王者で、その後R.I.S.E.を立ち上げ、REBELSを旗揚げし、KNOCKOUTのプロデューサーにまで就任しているキック界の巨匠だ。しかし僕は対戦相手がどこの選手だとか、どんな選手だとか全く気にならなかった。目指すところがあった僕は、自分のトレーニングに必死だったからだ。僕は普段の体重が71、2キロだったため、大した減量もせずトレーニングにだけ専念し試合の日を迎えることができた。
言うは易く行うは難し。僕が口先だけの男かどうか…。この日、その真価が問われるのだ!